猫と柴犬とよろづ日記

保護猫小太郎♂と保護犬海美(うみ)と日常を日記に綴っていきたいと思ってます!

神無月(10月)の中盤からの備忘録!















訪問していただきありがとうございます!













お久しぶりでございます。

皆さまのブログには訪問できず、ごめんなさいm(_ _)m



まずは時系列で書きます。


10日頃から熱が上がり始め、11日に病院に行きコロナやインフル検査も陰性で、薬を飲み徐々に体調が戻り、治ったかな?って思っていたら今度は膀胱炎になり16日の日曜日に病院へ。

17日までは何とかブログを書けましたが安静の指示が出てしまったので少しお休みしました。


やっと23日の日曜日には夜散歩もできて明日からブログ再開できるかな?って思っていた矢先。


24日の早朝、突然、夫が脳出血68歳で他界しました。


ここからは私の備忘録として書き留めておきたいので苦手な方はスルーしてください。
















23日の24時頃就寝し、朝方4時におトイレに起きて旦那を見ると、うつ伏せで布団の上に寝ていたので気にせずまた寝ちゃいました。


ですが月曜日なのに、6時になっても7時になっても起きてこないので電気を付けてみると4時に見たのと同じ格好だったので、慌てて足を触り冷たい!手も紫色で冷たい!首筋も冷たい!背中を押しても硬い!


え?え?え?

なに?なに?

どして?

寝返りをうたそうとしたけど硬くて動かない!


慌てて娘に電話。

息してない、手が紫色 とか言ってたらしいが覚えてない。

自分も過呼吸になってたので、娘子に、おかあ息すって、って言われたのは覚えてる。


直ぐに切って救急に電話。

心肺蘇生してください!って言われたけど、背中を押しても硬い。

救急隊が来る前にスペースを確保したり、うーちゃんも小太もゲージに入れる。


外に呼びに行く

小雨で寒い


直ぐに救急隊がきて処置し始める。

色々状況を聞かれる。

何度も聞かれる。答えは同じ。

三人がかりで上向きに。


上の娘子がくる。


措置をしていた救急隊の方に心電図をみせられ反応していない事を確認して病院には行けないので、ここからは警察の方に引き継ぐと。

警察がくるまで救急隊の方が一緒にいてくれました。とても心強かったです。

ありがとうございました。


その間、娘子が親戚等に連絡。

葬儀社にも連絡。


そして警察が来て、また何度も状況を聞かれる。答えは同じ。

暖房がついていたか室内温度を確認、20度

あとはお財布の中身を確認。身分証明など。

メインの通帳もチェックされます。

自宅で死亡したので、事件性があるか無いか調べる為のようです。

携帯もチェック。

パスワードがあったが娘子がピンコードをみつけて開いた。

それも警察が中身を確認してた。たぶん着信や送信だと思う。

色々確認して自宅で死亡したので検死の為警察へ。


午後、警察署で検査した先生にお話しを聞いた

首筋から針を入れると普通、頭の中にある透明な髄液がでるが、血が噴き出すくらい出たと。

なので脳出血です。と

何か兆候はありましたか?血圧が高かったとか?と聞かれましたが私の知る限りわかりませんでした。と答えた。

これは一瞬で逝ってしまうそうで、1秒で死んじゃいます。と

じゃ、私が4時のトイレの時とかに気がついたら助かりましたか?

と質問したら、

やはり一瞬なので無理です。と言われた。

そうだったのか。と諦めがつく。


その日の午後には自宅に戻る。

冷たい雨

脳出血だったので顔が紫色になってたが、眉間に苦しみのシワも無く、いつもの寝ている顔。

弔問にいらした方に、

まだ早いよ後10年、うーちゃんのお散歩してもらわないとだし、遺書も無いし、携帯や通帳の暗証番号がわからないし。

年金だってまだまだもらう予定だったのに。

と、毎回同じ事言ってました。

最後の頃には娘子に言うな言われちゃったけど、これはずっと言ってた。




義理母さん、義理姉夫妻が来てくれた。

まず、第一声は、

大事な息子を死なせてしまって、ごめんなさい。と

もちろん私の管理不足を責められる可能性がありましたが、その一言でその後は何も言われませんでした。


ここは大事なポイントですね!




何日かすると顔の色も、今日海行って日焼けした?って感じにかわりました。

海釣りが好きだったのでちょうどいいのかな?なんてみんなで話してました。




で、毎朝起きて一番に顔見るなり、

バカやろー!

なんで勝手に先逝きやがって後が大変なんだぞ!

と怒ってやってました。




納棺では、母が生前つくってくれた着物を送り人の方に着せてもらいました。

お化粧もして歌舞伎役者のような顔になってた。


通夜の前に聞いたのが、姪っ子の夢に出てきて機嫌良くカラオケしてたそうな。


また告別式の朝、晴れ。

娘子から夢の中で、

お父さんったら元気よく階段たったったって上がってきて、ただいま!って言ったんだよ。と


ん?てことは、この何日かここにいないでどっか行ってたって事か?💦

まったくのんきなやっちゃ。こっちとらえらい忙しい日々送ってるのに。

と思わずぼやいたわ。




最後のお別れの言葉は、


来世はもっといい女を嫁さんにして、もっともっと長生きできる人生を送りなね。


と。

じゃあねバイバイ!

と言った後、あ、じゃあねはまた会うって事か?

とりあえずバイバイ!

でした。



弔問に来てくれた人のお話しだと、日曜日に会合があり遅場せながら出席し皆さんにいとまごいをし、その後自分の車を庭で洗いながら近所の皆さんにもちゃんと いとまごいしていったみたい。

だから近所の方々から、だって昨日元気いたじゃん!挨拶したよ?と言われました。

確かに昨日は普通でしたよ。


また、バイクに乗って近所のうーちゃんが大好きなおじちゃんに挨拶に行ったとか後で聞きました。

来年から鮎釣りしたいから年パス宜しくって言われたそうです。


まったく遊ぶ事しか考えてないかい!


だいぶシルバーのお仕事も軌道にのってきたのにねぇ。




68歳でまだまだやりたい事たくさんあっただろうし、孫の顔も見れてないし、色々遊びたくて悔いもあったかもしれないけど、自宅の布団の上で苦しみもなく一瞬で去るなんて、大往生だよね!

確率的には何%?すごい確率だね。たぶん。。



まったく、ドラマのようなTVの番組を観てるというか演じてる夢をみてるようだった。

いまだに信じがたい。(本音)



何がなんだかわからず、葬儀屋さんなどの言われた通り事を済ませてきた、あっという間の1週間。


10日過ぎて、とりあえず急ぎの手続きは終わったので、これからの事色々考え、前向きに生きていかなくては。

お片付けとか掃除とか。


でも、ため息はついちゃダメだって

幸せが逃げちゃうからだって


これからはすべてがかかってくるのだな。



当日から喉が痛くて声が出なくなり、ベロに口内炎ができて薬を塗ってもいまだに治らず。

喉と口内炎があまりにもひどかった日はウイダーで乗りきった。

何も食べたくないけど、何か食べなきゃだからね。

手荒れもひどく、あかぎれやささくれができて治らない。

今はだいぶよくなりましたけどね。

たぶんストレスかな。



あと、弔問していただいてる方々に椅子は二脚は必要ね

お年寄りには必備品。

またずっと冷房をつけているので、身内の方がそばについてくれる場合は膝掛けやホカペは必須。

当日に弔問にきていただいた方に、お帰りのさいにお持ち帰りしていただくペットボトルのお茶などを直ぐに準備するべき。





☆☆☆☆☆


で、一つ提案というか、必ずして欲しい事があります。



携帯をロック してある方、また 通帳の暗証番号 も必ず紙に書いておくか、信頼のできる人(子供、親族、友達)誰でもいいから教えておいてください。

携帯が開かないと友人達に連絡とれませんから。


また若いからとかじゃなく、いつ何時どうなるかわからないので 遺言書 は必ずつくっておいてください。


☆☆☆☆☆




気がついた事なども一緒に書き込みました。

書き足りない事があったら追記します。

地方によって風習などが違う場合もあります。

いざと言う時に何かの参考になればとも思ってます。

いざと言う時がこないのが一番ですけどね。


近いうちにまた復活すると思いますが、その時は宜しくお願いします!


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